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『黑龍』邦題:激突!ドラゴン 稲妻の対決 原題:黑龍 英題:The Black dragon 製作:香港:洲立影片公司 :菲律賓:RJR Films Exchange,1973年 【物語】 香港の黒社会組織、黒龍団の内部を探っていた潜入捜査官が惨殺された。彼の息子であるトニー、ジミー、リッキーの三人は復讐を誓い、それぞれの手段で組織へ近づいて行くが、遂に組織に正体を暴かれ、母親が誘拐されてしまう・・・。 【解説】 国内でも『激突!ドラゴン 稲妻の対決』の題名で、74年のドラゴン映画ブームの真っ只中に公開された、香港とフィリピンによる本格的な合作映画。65年から80年までに製作されたフィリピンの人気スパイ映画『Agent X-44』シリーズで知られるトニー・フェラーを主役に迎え、劉江、丁漢、唐菁、王菜、李文泰、喬宏などの香港明星が脇を固めている。現代劇とあって美しい香港の街並みを背景に、これまで自国のアクション映画で空手スタイルで通して来たトニーが、本場香港の荒々しい古典的功夫スタイルに挑んでいる姿が新鮮だった。だが、今回は鑑賞後の感想よりも、本作が後の香港映画界とフィリピン映画界の関係、それも70年代初期から80年代後期にかけて大量生産されるフィリピン製英語アクション映画の先駆け的作品である点に注目して紹介したい。 本作を製作したのは、黎筱娉が69年に設立して以来、長年に渡って香港最大の海外映画配給会社として君臨し、05年からは日本の角川と業務提携契約を結ぶなどして、格段の進化を遂げた洲立影片公司と、世界的に功夫映画ブームになり始めたばかりの香港へ渡り、邵氏兄弟有限公司で映画の輸出入に関する知識を学んだフィリピン人の映画プロデューサー、ボビー・A・スアレスが同時期にフィリピンに設立したRJR・フィルム・エクスチェンジである。実は本作以降も両社は交流を続け、『サマータイム・キラー』(73)で知られるクリス・ミッチャムを主役に迎えた『Cosa Nostra Asia』『Master Samurai』(共に74年)などの海外市場向けの英語アクション映画を製作している。 自社映画を海外へ売って成功を収めたスアレスは、続いてシンガポールとマレーシアの映画産業の発展のために英語アクション映画の製作を再開し、シンガポールのインターナショナル・フィルムとマレーシアのザライン・フィルムの協力により、78年にBAS・フィルム・インターナショナルを設立する。空手使いの女エージェントが悪の組織と闘う『They Call Her... Cleopatra Wong』(78)を皮切りに、人体改造された子供エージェントが難事件を解決して行く『Bionic Boy』(78)と続編の『鉄腕少年 バイオニック・キッド』(79)、妻と片腕を失った捜査官が復讐に立ち上がる『片腕捜査官オルテガ』(83)など、娯楽要素を徹底的に取り入れた英語アクション映画を製作する。80年代に入るとフィリピンの小資本系映画会社も真似て英語アクション映画の製作に乗り出すが、これらは全て70年代初期から香港へ渡って技術を学んで来たボビー・A・スアレスの功績が大きいと思う。事実、彼はフィリピンの映画プロデューサーとして初めて国際的に有名になった一人として知られている。 最後にもう一つ、本作と深い関わりを持つ黎幸麟について紹介したい。後に彼は80年代後半に海外俳優を起用したニンジャ映画を製作するIFD・フィルム・アンド・アーツこと通用影藝有限公司の社長として有名になるが、意外にも本作では出演者の李文泰と共に助監督を務めている。彼は洲立の社長にして本作の製作者である黎筱娉の実弟であり、設立当初から姉の下で主に助監督や脚本家として働いていた。本作の製作年と同じ73年に独立し、海外映画配給会社の通用影業公司を設立する。最初はヨーロッパ映画を香港・台湾・タイ・フィリピン・インドネシアなどに配給して沢山の利益を得た後、次は海外との合作映画の製作を開始する。彼は功夫映画が人気で人件費の安い韓国を合作映画の相手として決め、その第一作目として『龍形刀手金鐘罩』(78)を製作し、続いて台湾やタイとも合作映画を製作したが、海外では北京語と中国語字幕入りの功夫映画があまり好まれていないと知り、新たに英語に吹替えた映画を製作する。これがきっかけとなり、彼は自身の会社を通用影業から通用影藝へと改名し、海外市場向けに無数のニンジャ映画を大量生産して行く。 さて、本作を紹介する際には多くの関連資料を参考にさせて頂いたが、お陰でこんなに濃厚な記事を書くことが出来た。本作以降、フィリピン映画界では功夫映画の製作に積極的に取り組み、香港映画界との交流を続けながら数々のアクション映画を世に送り出して行く。実は前述したボビー・A・スアレスや黎幸麟の他にも、彼らと関係の深い映画人たちの香港・フィリピン映画事情も既に調査済みなのだが、予想以上に内容量が多過ぎるために区切りの良い箇所で止めさせて頂いた。いづれまた、フィリピン映画関連の映画を記事にする際にでも一緒に紹介したいと思うのでお楽しみに・・・? 【参考資料】 映像 :英語音声版VHS 書籍 :『世界ブルース・リー宣言』(江戸木純氏,洋泉社) 『最強アクションムービー決定戦』(洋泉社) 『カンフー映画大全集』(近代映画社) サイト :『Bamboo Gods and Bionic Boys』 (http://bamboogodsandbionicboys.blogspot.jp/) 『Golden Ninja Warrior Chronicles』 (http://goldenninjawarriorchronicles.blogspot.jp/)
by moviefan-z
| 2010-06-16 15:08
| :動作片
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